「自由」について

人生における「自由」とは、どういった定義づけをしたら良いか?

世間でよく言われるような、

「好き勝手やる事が自由じゃない、最低限のルールに従って、責任を持って、自由に行動するのが本当の自由だ」

と言う解釈があるが、今回は自分なりの解釈を書いていきたい。

 

まずポイントとして

・言葉の意味をむやみに定義するべきじゃない。文脈で理解するべき。

・究極的に言えば、人間は完全に自由。

・身もふたもないが、時と場合による。

 

「自由」とは何か?を語るにおいて、言葉の意味をむやみに定義するべきじゃないと言うことを、まずは押さえておきたい。

自由と言う言葉を使う時、使う人の時と場合により、またその人の人生観により、その都度、意味合いが違って当然だからだ。

どうすれば良いかというと、文脈から判断するしかない。

それでも分からなければ聞くしかない。

文脈で考察する事もなく、「自由」という言葉だけに反応して、「それは自由とは言わない!」なんていうのはナンセンスなのだ。

 

次に、究極的に言えば、人間は完全に自由である。

銀河系の、太陽系の、地球という星は、他の星と少し違っていて、なまぬるい気温で、少し表面が湿っている。なので、他の大概の星々は清潔なのだが、地球だけは表面に生き物がウヨウヨ動いている。その生き物が、他の生き物を捕らえて食べようと、同じ種族の仲間を殺そうと、嘘をついたり物を盗んだりしようと、別に自由ではなかろうか。

正義や法律やマナーは、結局人間が、集団として幸せに暮らしやすいように工夫された考え方なのである。

 

これまでの2点、

「むやみに言葉を定義すべきじゃない」

「究極的には自由」

この2点を踏まえて、3つ目の

「時と場合による」

を考えていきたい。

 

例えば、人を殺しても良いのか?という問いがあったとする。

人には人権があるので、普通は自由に殺人をするべきじゃないと考える。

ただし、人を殺したいとまで思うに至るには、それなりの経緯があるはずだ。ここでは、「ひどい侮辱を受けた」と仮定する。侮辱の内容は関係ない。本人が、相手を殺したいと思うほどの侮辱を受けたのだ。

ここで、彼は彼の人生において、考える。

相手の人権を尊重すべきか?

自分の尊厳を尊重すべきか?

これを、冷静に深呼吸して、選択する自由が彼にはあると思う。

ここで、社会的秩序は、判断材料にはなるが、判断基準にはならない。

そして、究極的には自由なので、彼が幸せになる方を選ぶだろう。

社会的に安定している方が彼にとって幸せなのか。社会的制裁を受けるとしても、自分の尊厳を守る方が大切なのか。相手を殺さずに、社会的に罰する事で自分の尊厳を守る事になるかもしれない。

ここで重要なのは、相手の人権よりも自分の尊厳を守る事が悪だと言っているわけではない事。自分の尊厳を守る事は、僕は大切な事だと思う。

「社会」にとらわれる事なく、自由に選択するのか。

「感情」にとらわれる事なく、自由に選択するのか。

つまり、ルールに従ってと言うのは、社会のルールに従うのか、自分のルールに従うのか、あるいは従わないのか?

そして、選択するという事は、その後の状況を自ら生み出す訳なので、どの様に選択したとしても、その後の状況の責任は自分にある。

そういった事を踏まえたうえで、判断し、行動するのが、僕は「自由」の本当の意味だと思う。