教育方法の発展、なんでこんなに遅いんだろう?自己肯定感を高めYO!

 

 最近思ってること。それは、なぜ人類は、教育方法の発展にこんなにも時間がかかっているのか?ということ。前から、なぜか教育には関心があった。といっても、教育者になろうとしてたわけじゃなくて。アルバイト先で先輩の立場になった時や、会社に就職してからも、後輩に仕事を教える時、やっぱりいろいろ悩む。厳しく言うべきか、優しく言うべきかとか、詳しく教えるべきか、目で見て自分で考えてもらうべきか、とか。

 

 人間って動物は、サルや、ライオンや、イルカ以上に、極端に、社会性の強い動物だよね。で、何千年も前から、狩猟採集や、稲作からなんやかんや、人から人に教えてきたと思う。日本でいうと縄文時代が1万5千年前からで、石器時代を入れるともっともっと前からね。そして今は21世紀で、21世紀の日本では今やっと、体罰はいけないと認識され始めている。遅くない?数学とか、科学とか、こんなに発展してるのに、教育方法は、まだまだ発展途上な気がする。で、なんで体罰がいけないのかというと、心に傷を負うからだとか、体罰を受けて育った子は大人になって体罰を使うようになるからだとか、色々言われている。それもそうだとして、でも根本的に、教育の方針が間違っているから、挙げ句の果てに体罰があるわけで、根本の問題が重要視されていないと思う。

 

 僕は、相手の自己肯定感を高めてあげることが、教育において一番重要なんだろうと、予想する。自己肯定感を高めるってのは、自分の個性を発揮するのが重要だという事。自分がやっている事が正しくても、間違っていても、確かに愛されているという事。だから、規律や恐怖による統制ではなく、自分で善悪の判断をさせてもらえるという事。自分のパフォーマンスは素晴らしいと信じられる事。思ったことを(ちゃんと考えた後で)口に出して、嫌いなものは嫌いだと言える事、つまりは嫌いな気持ちを心に溜め込んで、自分の気持ちを押し殺してしまわない事、などなど、だと思う。

 

 僕自身は、そういった自己肯定感を高めるような教育方針を、受けたことも、与えたことも、少しづつ経験がある。自分の場合は、いま思えば、良い結果に繋がったと思うが、本当に人類全般において正しいのかと聞かれると、あまりにも体験の数が少ないので、まだはっきりと正しいと断言できない。でも多分、正しいのだと思う。

 

 NHKの「奇跡のレッスン」という番組をよく見ていて、その中で外国人のカリスマコーチが登場するんだけど、(ちなみに今まで見たのは、ストリートダンス、車椅子バスケット、テニス、柔道、ミュージカル、野球、サーフィン)どのジャンルにおいても、とにかく楽しいと思うことや、自分の個性を発揮することや、自分で考えることや、そういう、やっぱり自己肯定感を高めることをやっている。そのために、よく褒める。日本で言う所の「アメとムチ」のアメとは意味が全く違うのがすごい。スパルタの規律を我慢させるためのアメじゃなくて。自分という存在を、個性を、判断を、楽しいと思うことを、肯定するために褒められる。甘やかしてるわけじゃなくて、練習メニューはすごくハード。でもみんな、楽しそうにやる。

 

 多分、教育法として正しくて、これからの主流になると思う。で、僕が思ってるのは、いまの教育のあり方に文句を言いたいのではなくて、なぜ、こんなに発展が遅いの?ってこと。

 

 人類が歩んできた歴史はこんなに長いのに、そして教育とか、育児とか、すごい重要なのに。流行り廃れでいろんな方法がグルグルしてるわけでもない。ただ単に、遅い。やっぱり、あんまり重要視されてこなかったのかな?考えてみると、狩猟採取の方法を伝えるのは、先人の素晴らしい方法を、コピーしていく事だけで良かったんだよね。勉強も、学問を極める学者はごく少数で、民衆の教育は、ただ基礎的なことをコピーしていくだけで事足りてたんだろうね。ああ、動物的本能では、他人を成長させることよりも、自分が成長したいっていう方が強いっていうのもあるかもね。

 

 よし。で、未来に目を向けよう。国際化した21世紀の地球は、国際的にスポーツもやるし、学問も競うし、教育法だってすぐに発展するよね!インターネットもSNSもあるしね!これからどんどん、自己肯定感が重要視されて、他者も肯定して、っていう教育が発展していくんだろうなあ。恐怖による抑圧は、古くなっていくよなあ。

 

 そんな時代に何か貢献できれば!